tumblelog-sonkm3

Nov 22
yuco:


jasminoides:


junpoco:

bitchville:

1963 Yellowstone Postcard by Nyctreeman

yuco:

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1963 Yellowstone Postcard by Nyctreeman




“「CDの包装を開封するなんて激しい運動を、どうやったら彼らにさせることができるのか、見当もつきませんね。実際、CDを開封しようとしたら、信じられないくらい大変でしょ?カッター使わなきゃいけないとか、開封するだけで一苦労。そしてなんとかCDを開封したら…、結局、PCに取り込むんですよ。」とハマーは付け加えた。”

MCハマー、音楽業界のアンチ・パイラシー戦略に「STOP!」 :P2Pとかその辺のお話 (via kogumarecord)

低姿勢すぎるハマー

(via sandman-kk) (via jinon)

“平沢氏: メジャーレーベルを辞めて自分で配信するようになってからは、作品の売れ行きは 伸びて、マーケットも広がってます。無料のMP3配信を監視していると、ダウンロードが24時間 止まらないんです。そうしているうちに、次は世界中からCDの注文が入ってくる。そう考えると、 無料で音楽を配信すること、コピープロテクトをかけないことは、プロモーションにつながるんです。 これはものすごい威力ですよ。お金を払ってまで欲しいと思ってくれなければ、やってる意味がない。 違法コピーしてそれで満足してしまうようなものであれば、それは自分のせいだと。作品がその程度の ものでしかないと判断する姿勢を、今のところ持っています。” ( ;^ω^)<へいわぼけ: 「補償金もDRMも必要ない」 JASRACに反発し、曲を独自配信する先駆者 平沢進(52) (via jinon)
2007-07-25 (via gkojay) (via oosawatechnica)

  1. Posted by 元ソニー損保の社員 2007年05月25日 07:22 7)しかし、システムが汎用機でできているのならまだしも、ソニー損保のようにC言語等の簡易言語でシステムができている場合、システムのマッチング等の一連の処理が不可能であり、申し込み書1件、1件の担当者(人間)による手作業の管理しかできないのが実情です。ソニー損保では、例えば、始期後未入金の管理も担当者(人間)がおり、担当者が棚等 を使い、申し込み書をフオルダー等で管理し、手作業で未入金の消しこみを行っているのが実情であります。人間(担当者)がこういった一般の保険会社ではシステムで行われていることがソニー損保では人間が手作業で行っているのが現状です。このことは、損害保険会社のノウハウが短期ではできないことを意味します。ソニー損保等の新規参入の通販型のシステムではいけないのです。

自動車保険を元損保社員が比較ブログ:「ソニー損保は使えない」ブログの感想 - livedoor Blog(ブログ)

C言語に恨みがあるらしい

(via aso) (via yuco) C言語って簡易言語だったんだ。。。

“Powell氏が国務長官を退任し、普通のおじさんに戻った日の朝、彼は妻にこう言った。「今日から新しい人生の始まりだ。もう私は朝5時半に起きて6時半に家を出ることはないよ」と。すると妻はその場で固まり、「この人はなぜ今まで長い間結婚生活を続けて来られたのか知らないのかしら?」という顔をした。それを察したPowell氏はあまり家にいてはいけないと思い、スポーツカーのコルベットを購入したという。” 普通のおじさんコリン・パウエル氏のデジタル体験談:ニュース - CNET Japan (via yuco)

Powell氏がデジタル人間になろうと努力する理由のひとつに、「14歳の孫とコミュニケーションしたい」ということがある。メールで孫とのやりとりを楽しんでいたPowell氏だったが、最近では孫からメールが来なくなったという。その理由を尋ねると、「もう普通のメールなんて使わないよ。携帯電話でのテキスト(ケータイメール)のやりとりか、Tweetする(Twitterに投稿する)くらいだね」と孫からの返答。「Tweet? それは何だ?」「そこまで説明しなくちゃいけないの? とりあえずFacebookでもやってみれば?」……ここでPowell氏は、自分のデジタル化はここまでだ、Facebookなど使うものかと思った。

 それが2日後、孫が「おじいちゃん、Facebookに載ってるね」と言うではないか。

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 「私はサインアップした覚えなどない! 誰かが勝手にやったとはプライバシーの侵害だ、訴えてやる!」と憤慨した同氏だが、「もう1万7000人のファンがついているよ」と孫に言われ、その状況を受け入れたという。

 また、「ネット上にはあらゆる情報が流れている」と実感することも多いとPowell氏。「パーティーに行くと、みんなその場でTweetとかいうものをしているようだ。私が部屋を歩いているだけで、『Powellが誰々を無視した』などと書かれている」。こうした状況を通じて、「TwitterやSNS、そしてSalesforce.comが発表したSalesforce Chatterなどのツールが世界を変えていくことを日々学んでいる」とPowell氏は述べた。

「このようなツールをみんなが使うようになり、すべての生活と関連づけられるようになれば、技術のパワーが見えてくる。Salesforce.comやGoogleなどの企業は、この10年ですばらしい世界を作り上げた。いろんな製品やサービスが出てくる時、最初は何のために存在するのかわからないかもしれないが、これを使って世界をいかによりよくできるか考えてほしい」(Powell氏)

普通のおじさんコリン・パウエル氏のデジタル体験談:ニュース - CNET Japan (via yuco)

ハリウッドのマニュアルの基本としてあるのは、大ざっぱに言うと「まず作品の全体像を調和ある形で整え、そこから逆算して細部を決定していく」ということだ。このような考え自体は、欧米では目新しくも何ともない。というよりはむしろ、このような考えこそヨーロッパの思考の保守本流だと言うべきだろう。昔からあるストーリーテリングについての考えを、誰でもすぐに使える形にシンプルに整理したものこそ、現在のハリウッドのマニュアルなのだ。

 だから、シド・フィールドがアリストテレスやへーゲルに言及するのは、偶然ではない。劇作の構成原理として全体像の調和を重んじ、そのための方法論を最初に整備した著作こそ、アリストテレスの『詩学』だったわけだし、「全体性」についての思考自体をヨーロッパ史上最も完成された形で示した者こそ、へーゲルに他ならなかったわけだ。

 へーゲルの弁証法は、常に二項対立に基づいている。ある概念があれば、それと反対の対立概念も存在し、両者は矛盾する。だがこの矛盾が解決されることで、対立する両者を含むより高次の概念が開かれる。そして、このような対立の集積がやがては世界の全体像に至る。世界の内で、部分と全体はスムーズに連続する。

 ものすごくおおざっぱにまとめているが、ハリウッドのマニュアルはこれぐらいにまで要約された上でのへーゲル的な世界観に基づいていると言ってよい。主人公には必ず目的が存在し、その目的を達成するためには、様々な障害と衝突せざるを得ない。目的の達成のためには、それぞれの障害を乗り越える必要があり、一つ一つ乗り越えていくたびに、最も大きな最終目的に近づいていく。そして、このような構成を最も全体的に調和が取れた形にするには、主人公と対等に近い立場のライバルの存在が不可欠となる

。主人公の目的とライバルの目的が対立し、その闘争こそが目的の達成に対する最大の障害となり、そこでの勝利がすぐさま目的の達成につながるのであれば、ストーリーの構成は、首尾一貫した調和の取れたものとなる。

 では、『マトリクス』の場合はどうなのだろうか。主人公であるネオの最大の目的は、「マトリクス」の支配から逃れることだ。しかし、この作品で言うところの「マトリクス」とは、全ての人間が知らず知らずの内にその内部に閉じ込められている巨大な仮想現実世界そのもののことだ。作中でモーフィアスが言うように、「マトリクス」は、あらゆる時に、あらゆる場所で、人間の周囲に常に偏在する。

 ここに、『マトリクス』という作品の抱えた最大の問題がある。「マトリクス」とは世界そのものの構成原理のことであり、実体として具体的に存在するものではない。ゆえに、「主人公ネオ対マトリクス」という、二項対立の図式を作ることはできない。

 つまり、「マトリクス」という概念自体が、へーゲル的な世界観とはうまく結びつかないのだ。「マトリクス」とはどう考えてもスピノザ的な概念なのであり、そのような題材をストーリーの中で処理できたのは、例えばフィリップ・K・ディックであるということになる。

 「マトリクス」という概念は、ハリウッドの脚本システムでは描けない。それでもなお、そのシステムにのっとってストーリーを構成しようとすればどうなるのか。まさにここに、「エージェント」というキャラクターが創造された原因がある。エージェントとは、マトリクスという仮想現実世界の番人・監視者を務めるプログラムであり、仮想現実の内部では「いかにも悪役」という見た目をもって実体化される。

 つまり、「主人公ネオ対マトリクス」という図式は描けないが、「主人公ネオ対エージェント・スミス」という図式ならハリウッドの脚本システムで描ける、ということだ。だからこそ、『マトリクス』第一作の脚本は破綻なく構成することができた。マトリクスそのものとの戦いは一切描かれず、ただマトリクスの代理者としてのエージェント・スミスとの戦いだけが描かれる。そして、エージェント・スミスに勝利した時点で、「マトリクスとの本当の戦いはこれから」ということだけが示唆されて第一作は終わる。

 確かに、第一作だけを見れば、緊密に構成された脚本であるように思える。しかし実は、この脚本はこの時点ですでに続きなど書けないようなシロモノなのだ。所詮はエージェントは実体を持たない存在であり、実体のないマトリクスとは全く異なる。したがって、どれだけエージェントとの戦いを積み重ねようとも、マトリクスとの戦いには永久に到達しない。

 だから、同じやり方をそのまま続けて、マトリクスが支配する世界の全体像を描こうとすること自体がすでに失敗だったのだ。それでももしやるとするなら、マトリクスは到達不可能な不可視の中心とした上で、その周囲をめぐるエピソードだけを積み重ね、その世界の全体像は決して示さない、そんなやり方しかないだろう。

 しかし、ウォシャウスキー兄弟は、この題材とハリウッドの脚本システムが全くそぐわないことに自覚的でなかった。するとどうなるのか。このシステムにのっとっているかぎり、実体を持つ敵との戦いをストーリーの中心に据えざるを得ない。その結果、本来はマトリクスの代理人に過ぎなかったはずのエージェント・スミスの、作中で占める割合がどんどん増大することになる。

 二作目以降、エージェント・スミスがネオに対して、「私とお前は特別な関係で結ばれている」というようなことをしきりに言うようになる。しかしこれは、ただ単に脚本の構成上そのようにしか書けなかったことをウォシャウスキー兄弟が自覚できていないというだけのことだ(ついでに言うと、三部作を通して、多くのキャラクターがいかにも哲学談義といった風に世界の原理を語っている。「誰もが選択を迫られる」とか「誰でも役割がある」とか「私の役割はこれ」とか「人は目的を持って存在する」とか「お前は私の目的を奪った」とか。しかし、これらは全て、「ストーリーやキャラクターはこのように構築しなければならない」という「ハリウッドの脚本システムの原理」をそのまま語っているだけなのだ。そんなものは別に世界の普遍的な原理でもなんでもないんだよと言いたい)。

 そして、ついに三作目では、「マトリクス」という概念自体がむしろ脇役のようなものになり、「主人公ネオ対エージェント・スミス」という二項対立がストーリーの中心になってしまったわけだ。

 ハリウッドの脚本マニュアルは万能ではない。このマニュアルでは処理しようのない題材もあるということを逆説的に証明してしまったのが、『マトリクス』三部作だったのだ。

『マトリクス』三部作はなぜ失敗したのか - The Red Diptych (via rajendra) (via pdl2h) (via etecoo) (via kml) (via oosawatechnica)

Nov 20

Nov 19



無抵抗の僧侶を威嚇してはならない
無抵抗の僧侶を殴打してはならない
無抵抗の僧侶を投獄してはならない
無抵抗の僧侶を殺害してはならない
彼らは権力の外にいて、
権力とはまったく別の法にのっとって生きているからである

彼らを威嚇し、殴打し、投獄し、殺害することは「別の法を持つもの」への圧倒的な無理解、圧倒的な暴力であり、つまりは他者の破壊である

そして、我々もまた他者なのだ

無抵抗の我々を威嚇してはならない
無抵抗の我々を殴打してはならない
無抵抗の我々を投獄してはならない
無抵抗の我々を殺害してはならない
我々は権力の外にいて、
権力とはまったく別の法にのっとって生きる自由を常に必ず持つ

我々を威嚇し、殴打し、投獄し、殺害することは「自由を持つもの」への圧倒的な無理解、圧倒的な暴力であり、つまりは他者の破壊である

他者を破壊してはならない
彼らを、そして我々を破壊してはならない

威嚇するな
殴打するな
投獄するな
殺害するな

ミャンマー軍事政権よ
中国政府よ

フリー・アウンサンスーチー
フリー・アウンサンスーチー

フリー・ダライラマ
フリー・ダライラマ

我々もまた彼らである
彼らはまた我々である

話し合いを拒んではならない
なぜなら、話し合うことが唯一、他者と他者をつなぐ道だからだ
他者と他者がつながれなければ、威嚇が始まり、殴打が始まり、投獄が始まり、殺害が始まる

だから対話せよ! 対話せよ!
そして、対話のためにこそ伝え合え!
言論の自由と、報道の自由はこうして、威嚇と殴打と投獄と殺害を防ぐためにある
対話せよと言い、伝え合えと訴えることは、威嚇と殴打と投獄と殺害の目の前に立ちふさがることだ

ミャンマー軍事政権よ
中国政府よ

対話せよ 威嚇するな
対話せよ 殴打するな
対話せよ 投獄するな
対話せよ 殺害するな

対話せよ!

我々もまた彼らである
彼らはまた我々である

readymade by いとうせいこう - 2008/4/20 (via handa)
2008-04-21 (via gkojay) (via oosawatechnica)

“A「このスパコンは世界一を目指すものですか」
B「はい」
A「二位では駄目ですか」
B「駄目です」
A「一位が取れなかったらこのスパコンはゴミですか」
B「一位でなければ意味がありません」
A「でもIBMが開発しているスパコンはこれより性能が上なので、一位が取れたとしても一瞬だけ輝いて後はゴミで、遅れたら最初からずっとゴミってことですよね」
B「一瞬でも一位取れればいいです」
A「それで1000億出せと」
B「はい」
 
プレゼンがあまりに酷すぎて意図的にゼロ査定して貰いたくて言ってるとしか思えん
これで1000億出したら仕分け隊はそれこそ無能の極みだ
 
どう考えても「二位では駄目ですか」は「二位でもいいですが10PFLOPSの演算速度が研究に必要です」と話を繋げるための振りだろうに、非情を極める他の案件と比べてこれだけ温情の振りがあってなんでこんな不思議な墓穴が掘れるんだよ”
スパコン (via yagik) (via ssbt) (via rarihoma) (via puruhime) (via uessai-text) (via tokada)

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